2011.3.14

日本、日本、日本!!!

地震があった時は自分のオフィスにいました。
携帯が唸りだして、それとほぼ同時に地震が始まったのですが、施設の耐震性は素晴らしく、出だしはそれほど感じなかったくらいです。
そのうち本棚がぐらぐらしだして、それを抑えに、そして逃げ道の確保のためにドアを開けに立ちあがり、その時外を見たときに初めて事の重大さに気付き始めました。
地面にひびが入っているのが見え、周りの建物からものすごい音が聞こえていました。人が外に走り出ていて、そうしているうちに、オフィスを出ていた僕のアシスタントが「加賀さんも外に出てください!!!」と呼びに来ました。
僕にしてみれば、施設の耐震性が良すぎるため、そこまで深刻にとらえていなかったのが事実です。
ちなみに学校は一般受験のため、一般学生の立ち入りができず、試験も一通り終了し、受験生も全て帰宅の途に就き1時間以上後に地震が起きたので、校内にいたのは教職員のみでした。そこはラッキーです。
話は戻って、全ての教職員が外に避難して来たのはいいのですが、その後どうすればいいのかという知恵もなく、ただ突っ立っておしゃべりしたり、僕みたいに興味本位で自分の施設の中を確認しに行くふりをしたり、いろいろな行動が見られました。たぶんみんな現実的な状況の把握ができていなかったのだと思います。
僕なんか、「今日でよかった。明日だったら送別会中止になってたところだったな…」って本気で思ってました。
では、どれだけ僕の施設の耐震性が優れているかというと、まず、スクワットラックにかかっている1.25kgとか2.5kgのおもりが数枚落ちてましたけれど、落ちているのはそれくらいで、棚にただ置いてあるだけのメディスンボールすら落ちていなかったのです。そんな状況だから、僕があまり現実的にあの地震の大きさをとらえることができなかったのも無理はありません。
それでもなんとなく、周りの反応と、たびたび起こる大きな余震を受け、徐々にですが、深刻な出来事が起きたんだということの認識をし始めました。
午後4時に学校から帰宅の指示が教職員に出され、いつもお世話になってる先輩を家まで送っていくことになりました。そして、その方の家に行くまでのラジオで、一般的な深刻な状況を知り、まったく信号機が機能していない状況の中、数時間徐行運転を繰り返すしかない時間を経て、深くその深刻さを実感してきました。
結局、学校を4時半ごろに出て、最終的に家に帰りついたのは10時頃でした。
帰宅途中で、ラジオから東北の公衆電話は使用すべてタダになっているという情報を受け、そのころには僕の携帯も電池切れになっていたので、携帯普及が久しいこのご時世、町にほんの数台だけしかない公衆電話から数回実家、実家がやってる店、そして叔父と叔母の家に電話をかけたのですが一切通じず、かなり不安な中、それでも少なからず先輩を家まで送るという使命感があっただけポジティブなまま、そしてそれを全うした後はその疲れから、散らかった家に着いたらすぐに寝られました。
次の朝6時過ぎに目が覚め、もう一度公衆電話から実家、実家の店、叔父叔母の家に電話しましたが、いまだ通じず、ここが僕のずぶといところで、「まぁ、そんなにすぐ状況も変わらないよなぁ…」と思って家に帰って二度寝しました。8時過ぎにまた起き、今度は家の周りがどんなもんなのか知りたくて、車でウロウロしだし、その途中でかけた電話で、やっと家族とつながりました。彼らすべての無事と、東京には電気、水道、ガス全てが繋がっている事実を確認してまずは一安心。それなら東京へ避難しよう!と思い立ったのですが、なんと、あるホテルチェーンのエンジニアをしている義兄が仙台に出張で来ていて、この状況に置かれて奮闘しているということを姉に聞き、「何ぃ!!!」ということになったのです。
まぁ、結局は仕事柄、僕と一緒に東京に避難している場合ではないということ、そしてホテルだからある程度の物もありどうにでもなるということ、そして重要なことなんですが、どちらの携帯電話もつながらず、どうしたってお互いの連絡が取れなければ、どこで落ちあえるかもわからない状況であるということを考慮し、僕だけ東京へ向かうことにしました。
家で、今後いつ物を食べることができるかわからなかったので、運よく数日前に買ってあったステーキ用牛肉と鳥もも肉を、これまた運良くずっと前に鍋用に買ってあったポータブルガスコンロを使って、ガス漏れから爆発の恐れがあるかもしれないという情報をラジオから得ていたので、室内ではなくベランダで焼き、ありがたがりながら食べました。そして冷蔵庫内にある全ての飲食物をビニール袋に詰め、数日分の服をかばんに入れて、仙台の家を出ました。
ガソリンは半分以上入っていて、おおよそ250kmは問題なく走れる事は予想されたので、いくらなんでも、その間のどこかでガソリンを入れることはできるだろうと思い、当然高速は使えないから、一般道で東京の実家へ帰るようにカーナビで検索したら、想定所要時間は10時間ということでした。
いつも使いなれた道を進み、学校の近くまで来たときに、やはりオフィスと学生が気になり寄っては見たのですが、誰がいるというわけでもなく、周辺住民と学生がうろうろしているだけで、その中に僕のアシスタントを見つけることはできず、可能ならば一緒に東京に連れていこうとは思っていたのですが、それもできず、すぐに学校を後にしました。
結果を先に言えば、東京の実家に着くまでには想定通り10時間かかりました。
途中矢吹というところで初めて平常オープンしているセブンイレブンを確認し、その少し先のガソリンスタンドで満タンまで入れることができて、これで東京までは帰れると安心しました。その後通った大田原というところでは初めて営業しているレストランを発見し、その後パチンコ店までやっている状況を見て、ここからは被害が少ない区域が始まるのだなと思っていました。ただ面白いのが、本当にそこだけが全て通常通りで、そこを過ぎるとまた電気が通ってない街に戻るんです。あの大田原という場所はいまだに謎です。
家に着いたのは9時半ごろだったと思います。
家の前に着いたら親と姉が出迎えてくれて、母親なんかは涙までこぼしてましたから、なかなか心配かけてしまったのだなぁ、と実感しました。実家のリビングで、地震後初めてテレビを見て、母親の涙の意味が分かりました。僕の家の近くの名取が津波の影響で町の形を失っているではないですか…あれには僕も本当にショックを受けました。もう少し海側のアパートを選んでいたら、俺もこの津波に…。被害者の方には本当に申し訳ありませんが、まずは自分の命があったことに本気で感謝しました。
帰ったらすぐにシャワーを浴びて、飯食って寝ることだけを楽しみに10時間運転してきましたが、たぶん12時過ぎまでニュースを見続けていたでしょう。興奮しすぎて眠りについたのは1時頃だったと思います。
ただ、母親の作る温かい夕飯にありつけたのはラッキーでした。僕の災害現地での災害生活は実質的に地震当日夜の10時から、仙台を出た朝の10時の12時間ですから、ほかの方に比べれば、天と地ほどの差があります。本当にラッキー以外の何物でもありません。
次の日は朝7時半ごろ起き、その時点で僕の携帯電話が本格的に壊れているのに気づいたので、早く携帯ショップに持っていかなければと思い、携帯を早く使いたい一心でイライラしていました。
10時になるとすぐに携帯ショップに行き、結局代用品を借りて、震災後初めて携帯をあけたときには、留守電は3件、メールが20件ほどあり、PCメールの方には安否確認のメールが10数件、Facebookにも10数件来ていました。それらの方々に自身の情報を載せたメール連絡等をし、その後、仙台や東北の知り合いに連絡を取ろうと電話やメールをしたのですが、やはり通じることの方が珍しく、その中でも数人の安否の確認はできたので、少し安心はできました。
その後は自身の安全と置かれている状況の良さを、テレビから流れるむごい映像を見るたびに確認し、継続して連絡を取ろうとしていた方々からも安全でいるとの情報が入るようになり、今に至るといったところです。

今回の震災を経て、何か偉そうなことを書きたいのですが、それどころではありません。
今回の経験をもとに…なんて空虚すぎます。
自分は無力ですが、何か人のために…なんて言うのがおこがましく感じるほどに、今回の災害の大きさは想像を絶するほどにすさまじく、むごいです。

亡くなられた方、大切な誰かを失ってしまった方、本当に僕には何も言えません。どうにかしていつの日か立ち直れる日が来ることをお祈りしています。
いまだ避難生活で不自由されている方、僕はある程度現実を知っているつもりなので、僕にできることがあれば…なんてセリフは吐けません。だってないもの…。
あまりにも被害が大きすぎて、僕一人の助けなんてあってもなくても一緒です。助けられてせいぜいたった数人でしょう。それでも、皆さんの生活が1日でも早く帰ってくることを心から祈っています。

今回避難している最中には、日本人の素晴らしさに幾度も遭遇しました。自分が困難に立たされている中でも、他人を気にし、他人のために少しでも何か役立とうとする人を何人も見ることができました。

我々日本人は素晴らしいです。心からその一員であることを誇りに思います。

だからこそ、今回失ったものは大きく、本当にかけがえのないものでした。そしてもっと悪いことに、これからまた失うものも出てきてしまうのでしょう。

それでも、どうにか…

日本、日本、日本!!!!!

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