2013.2.5
スクワットができなくたっていい
表題のとおりです。
できないならできないなりの理由があるのだから、別に無理やりやらせる必要はないのです。
他にやることは沢山あるし、むしろ、それらのやるべき運動をやれば、知らない間にスクワットも教えやすくなるというものです。
だいたい僕も、新しく僕のプログラムに入ってきた学生に対して、しょっぱなからスクワットができるなんてことは期待していません。
スクワットというのはこうやってやるんだよ。
君がこの動作ができない理由は、ここに柔軟性が無くて、ここに筋力がないからだよ。
だからね、今はスクワットではなくてこの運動やあの運動をしっかりやって、まずは柔軟性をつけて、そして同時に筋力もつけて行かなくてはいけないんだよ。
ということを身を持って知らせます。そうすると、気の利いた選手はその足りない部分を補うために、また、自分がそんなにも単純なことができないという事実にショックを覚えながらもとにかく悔しいから、与えられた運動に結構懸命に励みます。
そんなことを数週間やっていれば、スクワットを適切に行う身体能力が勝手に向上して、始めはどんなに理想的なフォームからかけ離れたスクワットであったとしても、自体重でしたらそれなりの形でできるようになっています。
要は、
「まずスクワット!」
という観念から離れて、スクワットという運動はどんな運動で、なぜ行う必要があるのか、そして行うとどのような効果が生まれるのか、ということがわかっていればいいんです。
そして何よりも、スクワットを行うことが目的ではなくて、スクワットによってもたらされる身体能力の向上が目標なのだという意識を常に念頭に置くということがトレーニングプログラムの形成に役立ちます。
だからこそ、別にその手段がスクワットじゃなきゃいけないわけではないと知るんです。ただ、スクワットが使えたら合理的だというだけです。
以前もふれましたけど、クリーンやスナッチもそうです。
まぁ、トレーニング環境自体がスクワットと異なる点として、これらに関しては物理的に必要な器具欠如の問題が必ず出てくるため、日本のトレーニング環境の現状を考慮すれば、NSCAジャパンが一生懸命推奨するほどに必要な運動では全くありません。
あれらの運動を行うために必要な身体能力と、行った結果生まれる効果を知ってさえいれば、これだけ適当にやる環境がない日本であるならば、別の運動で代用できます。ただ、行うことができれば効率がいいというだけの話です。
運動指導者としての目先を変える必要性なのかと思っていましたが、そうではなく、一つ二つ先を見ることが大事なのかもしれません。
先にも書いたように、その運動を行うために必要な身体能力と、その運動によってもたらされる効果を熟知し、その運動を行うこと自体がゴールではなく、その運動はゴールへ向かうためのツールである、という認識。
そこまでの知識・技術・経験があると、よりトレーニングが豊かになります。
もう一度自分を取り巻く環境と、自分の目の前にいる選手(クライアント)の能力を確認し、運動を指導するプロとしてより適切な運動を選び、目的の追行に励んでください。